お金を使わないことはケチなのか、倹約なのか…。
うーん…。
では、前提条件を付け加えます。
「わたし自身にとって価値があるものに」
お金を使わない場合、それはケチか、倹約か。
そう考えると、やっぱりケチなのかな…と思います。
なぜなら、「お金を使わないこと」そのものが目的になってしまっているからです。
“お金” に主導権を握られている感覚です。
でも、倹約は違います。
自分にとって価値があるものだからこそ、そこには惜しまずお金を使う。
その一方で、価値がないものには使わない。
ここでは完全に、主導権は「わたし自身」にあります。
では他人と比べて、わたし自身はケチなのか、倹約なのか…。
うーん…。
考えても答えは出ないのかもしれません。
なぜなら、人によって何に価値を感じるかは大きく異なるからです。
推し活に価値を見出す人もいれば、車や洋服などの身なりに価値を置く人もいるでしょう。
自分が価値を感じるものは、誰かにとってはまったくの無価値かもしれません。
例えば、車に興味がない人が、塗装の剥がれた古い中古車に乗っていたとします。
車に価値を感じる人からすれば「ケチだな」と思うかもしれません。
ですが車に興味がない人にとっては、車は「乗れればいいもの」です。
そもそも価値観が違うのだから、ケチか倹約かを比較すること自体がナンセンスなのです。
わたしは、自分にとって価値があるものには惜しみなくお金を払い、価値が金額に見合わないものには1円も払いたくありません。
それをケチと思う人もいるでしょう。
でも、それはその人の価値観。気にする必要はありません。
ただ、ひとつだけ心に留めていることがあります。
「お金を使わなかった」という事実に対して、自分で自分をケチだと思わないこと。
自分をケチだと感じた瞬間、強いストレスになります。
心が貧しくなる気がするのです。
「本当は欲しいのに我慢している」
「お金は使わないほうがいい」
こう考えると、「わたしはケチだ」と思ってしまうでしょう。
でも、それは違います。
欲しいものだったとしても「価値が値段に見合わないから買わなかった」と考えれば、それは倹約という見方に変わります。
だって、価値が金額に見合えば、わたしは惜しみなくお金を使うのだから。
そして、お金に振り回されることなく「使う」「使わない」を自分の基準で選べている状態。
これこそが、わたし自身に主導権があるお金の使い方=倹約なのではないでしょうか。

コメント